マイストーリー

幼稚園~大学進学

■原宿幼稚園、渋谷区立神宮前小学校(1年~3年1学期)、町田市立鶴川第三小学校(3年2学期~6年1学期)、徳島市立昭和小学校(6年2学期~卒業)
  
 小学校4年生から野球を始め、主に投手として小学校6年生では町田市少年野球1部大会でベストナイン賞を受賞しました。


■徳島市立富田中学校、徳島県立城南高等学校
  
 野球に明け暮れ、中学3年生では徳島県中学校総合体育大会軟式野球の部で優秀選手賞を受賞しました。ポジションは捕手でした。

 高校では内野手として、主に遊撃手(ショート)でプレーしました。

166㎝53㎏と小柄でしたが、俊足と肩の強さが自慢で、中学、高校ともにキャプテンを務めました。


■早稲田大学(法学部)

東京6大学野球の早慶戦に憧れて受験勉強を頑張り、両校とも合格できましたが、当時、慶応はおぼっちゃん、早稲田は蛮カラな校風と言われていたので、おぼっちゃんではない私は早稲田大学に進学しました。

軟式野球の同好会

しかし、プロ野球の阪神タイガースで活躍し、監督も務められた岡田彰布氏が主将だった当時の野球部のレベルの高さに圧倒され、軟式野球の同好会で野球を続けました。

3年時には投手として、多くの同好会がある中、早慶リーグ戦で優勝し、リーグ代表として関西6大学L号軟式野球連盟の選抜チームと伊丹スポーツセンター野球場で対戦し、勝利しました。

プロ野球のロッテやオリックスで編成部長を務めたこともある現オリックスGM補佐の宮田隆氏はチームメートでした。

早慶リーグでは大学2年生3年生と2年連続で最優秀選手賞を受賞しました。

会社員時代  

大学卒業後、まず松下電器産業株式会社に就職しました。創業者で経営の神様と言われた松下幸之助氏もご健在で、当時の社長は平の取締役から大抜擢された山下俊彦氏でした。

7か月間の新人研修後、松下電子部品株式会社に配属され、回路部品(主に電解コンデンサ)の営業を担当し、営業とマーケティングを学びました。

4年後、「キタキツネ物語」という映画を観たことがきっかけで株式会社サンリオを知りました。ソーシャルコミュニケーションワールドを謳う社風に魅力を感じ、映画制作や出版の仕事に携わりたく、転職を決意します。

しかし、前職での営業経験を買われての入社だったため担当は梅田の阪急百貨店を中心にした営業職でした。

当時はバブル期でエコノミックアニマルと揶揄される仕事人間が多い時代でした。私はふと仕事仕事で読書もできない自分に気づきます。

どうしてももう一度勉強をしてみたくなり学習塾(株式会社関西進学セミナー)へ転職し、塾講師をしながら自分自身の学び直しも行います。

そして、自由で最も主体的な学びが可能だった国語科の教員免許を佛教大学通信教育学部で取得したのです。

高校教師へ、そして兵庫県三田市へ

33歳で教員免許を取得

33歳で教員免許を取得すると、今度は自分が情熱を傾けた野球部を指導してみたいという気持ちが強くなり、高校教師を目指すことにしました。

当時、実家が徳島県にあったのですが、教員採用試験の年齢制限が29歳以下で徳島県は受検できず、お隣の兵庫県を受検することにしました。

縁もゆかりもない私を採用してくださった兵庫県にはたいへん感謝しています。

26年間国語教師として勤続


その後、兵庫県立鈴蘭台高等学校から始まり、県立宝塚高等学校、県立篠山産業高等学校、県立三田西陵高等学校と26年間国語科教師として勤続し、教え子や保護者様に恵まれ、たいへん幸せな教師生活を送ることができました。

念願だった野球部の顧問も25年間(監督として10年間)務めさせていただき、甲子園出場の夢は実現できませんでしたが、兵庫県高等学校野球連盟から指導者表彰を頂くこともできました。本当にありがたいと思っています。

還暦からの新たなチャレンジ!


2020年春、定年退職はいたしましたが、まだやり残したことは数多くあります。

特に、教え子たちが生きる未来が平和で豊かな社会であるように、主体的に行動する次世代リーダーの育成に力を尽くしたいと考えています。

そして、彼らにバトンを渡してから私は安心して引退しようと思います。還暦からの新たなチャレンジを応援してください。

後援会入会のお願い

幸運にも私は三田西陵高校に15年間勤続し、多くの教え子とその保護者様と接して参りました。私の人となりをご存じの方もいらっしゃると思います。

そういう方々の口コミで私が市民の皆様の身近な存在となり、市民の代表としてふさわしい、と応援の輪が広がっていくことを期待しています。
 
ビロード革命を率いて民主化を成し遂げ、チェコスロバキア大統領となったヴァーツラフ・ハヴェル は、「力なき者の力」を信じると述べています。

私一人の力では大したことはできないと思いますが、皆さんの力をお借りすることができれば、大きな力になるのではないでしょうか。

私と三田市の未来について考えてくださる方は是非ご連絡ください。
そして、私を信頼していただけたなら後援会へのご入会を是非ご検討ください。